生きて行く上で、
先天的にも、後天的にも、身体に障害を負う事が有ります、
国の制度として、その重度をランク分けされても居ます、
本人もそれに関わる人達も、
やはり、ハンディーとして捉えてしまうのが、普通でしょう、
その観点を変えて考えて見ました
何もかもが、人並みに揃い、何不自由なく過ごしていれば、
それだけで、「幸せ」なのでしょうか?
ウチのかーちゃんは、よく口にします、
「平凡が一番」と、
あんだけ、苦しい思いをして、
損ばかり背負い込んで、
女手一人で、2人の子供を育て上げて、
ウチ、一人は、角もこんなに出来損ないで、
それで、
「平凡」
?????
そうなの?かーちゃん
先日UPしました、「中村久子女史」の言葉にこのようなものがあります、
「わたくしが、このような身体に恵まれたからこそ、今のこの想いに達する事が出来た、」
「他人は、不幸と、言いますが、」
「いえ、違います、こうだったからこそ、」
「この様に成れたものだと感じます」
「考えて見れば」
「わたくしこそ、最も、幸せな人生を送る事が出来た人間は、居ないのではないか」
悲しみは、有り難いもの、
辛さは、尊いもの、
それらが無くして、
本当の幸せは、手に入れる事が出来ません、
山は、登るからこそ、その達成感を得られるもの
それは、やはり、
何者にも換え難い、
自分自身の最大の財産なのではないか、
そう思う、
ただ、
私には、まだ、
その、極意に達する精神には、達し得ないのですが・・・・・
せせらぎ
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